四度目の正直

はてなブログをまた立ち上げた。

多分四回目だ。消しては作り消しては作りを繰り返している。

それは自己嫌悪だったり、羞恥心だったり、前職の職員から逃れるためだったり。そのどれもが前向きな理由ではない。

 

それでも私は書いてしまうのだ。

文章を書くことへの渇望。わたしの中で一生消え去ることがない欲望だと思う。

 

さてわたくしは最近文章を書く機会がめっきり減り、いや、機会というか、書きたくても書けない状態が続いていた。

家賃三万八千円の2DKに隔離されている毎日で、自己肯定感はおろか向上心すらも捨ててしまっていたのだった。お粗末な食事をとり、外出や風呂や歯磨きや着替えもほとんどしなかった。

 

「こんなはずじゃなかった」

どうなるつもりだったかと言われればうまく説明できないが、わたしがいるべき場所はここではないことは確かだった。動き出したくても動けない。

 

”もう死にたいと思いたくないから死にたい。”だなんて本末転倒なことを考える。

 

27年間生きてきて点々と仕事をしてきたが、まともな辞め方をしたことが一度もない。4年間務めた前職だって、三回も休職をしたし8時間勤務すらできず時短で働いていた期間のほうが長かった。

幼稚園も不登園だった。部活はやめた。ピアノも塾も英語もやめた。高校もやめた。仕事もやめた。勉強もやめた。

こんなわたしにも救ってくれようとした人はたくさんいた。でもわたしはその手を振り払った。あれも嫌だこれも嫌だと逃げ続けていたら、いつの間にかこんなところにまできていたのだ。

 

自分に失望している。自分を軽蔑している。

もういい、もういいのかもしれない。私にできることなんて何一つもない。

自分のことも助けられないのに、覚悟もないのに、人を救いたいと思った罰だ。

 

 

これからの人生をまた歩き出すにしても、わたしは自分のことを信じてあげられない。

働き始めてもどうせまたすぐ辞める。勉強を始めてもどうせすぐ辞める。

人生を、というよりかは自分の信念をあきらめている。

 

 

 

 

忘れることはない。

毎朝馬鹿みたいに泣いてから出勤したこと。満員バスに乗れなくなったこと。昼休みの居場所がなくて駅のホームのベンチに座って食事をしていたこと。胸中の寄生虫に脅かされて何度も事務所を抜け出して屋上に逃げ込んだこと。狂ったように飲んでいたお気に入りの缶コーヒー。薬のように食べていたミンティアの味。金縛りのように動かない体。蝉の声を聞きながら、サウナのように暑いトイレの便器に顔を突っ込んで吐き散らした感覚。優しい社員。楽しかった飲み会。毎月楽しみだった出張。抗いがたい慢性的な眠気。ミス、ミス、ミス。

確かに悪いことばかりじゃなかった。知らないことがたくさんあったし、できることも少しだけ増えた。

けれどわたしにとって仕事というのは自分がいかに出来損ないで人として欠落するのを再確認する場所でしかなかった。

 

仕事をして失ったものは自己肯定感と自信。

 

ほかの誰のせいでもない、自分だけの責任だった。

誰かのせいにできればいくらか楽だったろう。

 

ひぇ~